「ヤマメに学ぶブナ帯文化」

8.六十の循環の法則 take608

 今年6月のある雨の日、やまめの里で竹の実を採集した。竹の花は時折見かけることがあるが、実を結んだものは始めてである。その実は麦粒大で、でんぷん質が詰まっていた。食べると素っ気ない味であったが竹の香りがした。その実をお皿にのせて机の上に置いたら一週間後には芽が出て小さな笹の葉を広げはじめた。

 九州のブナ林にはスズ竹がびっしりとせめぎあって林地を覆っている。豪雪地帯のブナ林は林床をネマガリタケが覆っている。ネマガリタケを持つブナ林を日本海型、スズ竹を持つブナ林を太平洋型とされているが、これらの竹も時折部分的に花をつけることはあるが結実しない。ところが、六十年に一回は一斉に花を咲かせて結実して大豊作となり、その後全部枯れてしまうといわれる。

 十年ほど前、やまめの里付近のマダケが一斉に花を付けて枯れてしまった。が、その後また復活して元の竹林に戻っている。その昔、大飢饉の年に竹の実が大豊作となり、その実を食べて飢えをしのいだとか、酒屋さんが竹の実を買い集めて酒を造って大儲けしたお話などが語り継がれている。

 ブナの実も六十年に一度は大豊作になり、竹も六十年に一度実をつける。ブナについては前回述べたが、竹は遺伝子の操作をやっているのではないだろうか。竹は根を伸ばして竹の子を育て、種の勢力を図っているが竹の子はいずれにしても親の細胞のクローンである。そこで六十年に一回は花を付けて受粉により交配させて遺伝子を更新し種を活性化させるのではないだろうか。壮大な竹の戦略である。

 植物の世界から人間社会のお話になるが、近年各地で地域の活性化が盛んにいわれている。いろんな町へ出かけて町の長期ビジョンの策定などのお手伝いもした。漁村からお呼びがかかることもある。伝統的な漁村には地域のアイデンティティがある。町の若者が「魚が捕れなくなった」と嘆けば、土地の古老は「ナニ、六十年すれば魚は帰ってくるよ」という。ここにも六十年の考え方があった。

 人は六十歳になると還暦という。陰暦では干支が六十年で元にかえるので還暦と呼ぶそうである。一昔前までは、赤いチャンチャンコを着て親族一同を招き盛大にお祝いしたものである。

 知り合いの医大教授はNASAから打ち上げるスペースシャトルにいろんな動物を乗せて宇宙実験をされている。先生は人間の細胞は六十回分裂を繰り返すと概ねだめになるとおっしゃる。だから、ヒトは六十を過ぎたらまた元気になれるそうだ。

 先生は、耳石研究の第一人者でもある。耳石は平衡間隔を司る物質で内耳の中にあるが、鮭が回遊して帰ってきたり、渡り鳥が正確に飛んで帰ったり、蜜蜂が南北にきちんと並べて巣を造ったりできるのは耳石によるものだそうだ。耳石には毎日の年輪が刻まれていく。

 動物の生命誕生において最初に出現するものは耳石だそうな。始めに一個の耳石ができて次に顎が姿を現すという。地磁気を感じる耳石ができなけれぱ受精卵でも生命にはならないのだ。顎は食物を噛む大切な部位で、その順番が面白いではないか。地磁気に遠い宇宙ではどうなるのであろうか。

地球上では植物も動物もヒトも六十の循環の法則や地磁気を共有して生きているのであろう。地上の生き物たちは種の競争をしながら地球と共に生きる親戚みたいなものだ。

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